【強者の条件】
このカテにはネット・フリー問わず、腕に覚えありな人が沢山いますが、では皆さんの中での【麻雀上級者】とはどういった打ち手を指すのでしょうか??
良い意見があれば取り入れさせてもらおうと思います。
自分の場合は技術やマナーと同じ位、モラルを重んじています。
よく議題になる代表的なのが
☆アガラス千点
☆役牌のドラを鳴かせてベタオリ
☆役満含みの仕掛けへのケア
(責任をとらせる為に小四喜を山越ししした事もあります)
ネット麻雀では問題ありませんが、フリーではやはり褒められた事ではありません。
いついかなる状況でも自分の損得のみを最優先にする打ち手は、どれだけ成績が良くても所詮2流だと思っています。
私の卓でそれをやったら私が得した場合でも死刑確定ですし、そもそもよく戦う相手の心象を害する行為は期待値的にも損と言えます。
普段は回答する側なんですが、そそる質問が少ないとの意見を耳にしたので、面白いかは分かりませんが麻雀カテ活性化の為に、フリーor天鳳の事などをポツポツ投稿していこうかと思います。
記憶力が悪いので何切る系は天鳳になりそうですが。
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「強者」と「上級者」では意味が異なると思いますが、
自分の考える「麻雀上級者」の条件は
『結果を残せる技術を持ち合わせている』のは無論のこと、
『麻雀の普及や指導にも配慮・尽力されている人』
だと思います。
…この定義で言うと自分は間違いなく「上級者」ではない(笑)。
例えば将棋のプロ棋士は「対局」が最大の仕事であり収入でもありますが、
それ以外の日には全国各地のイベントに出席、将棋の本や連載の執筆、
などといった「将棋の普及や指導に関わる仕事」もされています。
勿論毎日と言うわけではなく、時には「本当に何もない日」もありますが。
同様にプロゴルファーやプロボウラーも地元のゴルフ場(打ちっぱなし)や
センター(関係者はボウリング場をこう呼ぶことが多い)で、
あるいは著書などでアマチュアへの普及・指導を行っている人は多いです
(それで稼がないと生活できない、という面があるにせよ)。
将棋の場合はアマチュア(のトップクラス)にも週末に地元の道場等で
(無償or僅かな謝礼で)子供達に将棋を教えている、という方が結構います。
…ただ、これだと「麻雀上級者」がほとんどいなくなってしまうので(笑)、
『後ろで見ていて参考に(真似を)したくなる麻雀を打つ人』
という解釈を追加します。これには当然「マナー」「モラル」も含まれます。
これは『自分の後姿で麻雀を教えている』ようなもので、
他のゲームやスポーツ選手などでも、本人は誰かに教えている気はないけど
「この人のプレーや考え方を参考に(真似を)したい」
と思いたくなる人(とその反対の人)がいるのと同様です
(それでも自分は「上級者」には当てはまらない。 ^^;)。
また、そういう人の麻雀ってのは無意識のうちに
「よく戦う相手の心象を害さない(≒「敵」を作らない)麻雀」
になっていると思います。
…では、質問者さんの挙げた
☆アガラス千点
☆役牌のドラを鳴かせてベタオリ
☆役満含みの仕掛けへのケア(をしないこと)
はどうでしょう?
…2番目は止むを得ないこともありますが、
1番目は良くて「見苦しい悪あがき」、3番目は論ずるに足りません。
…つまり、麻雀に限らず
『自分のこと(勝利)しか考えていない人は永遠に上級者たりえない』
と思います。
「他人を骨まで食い尽くすような強者(狂者?)」
にはなれるかも知れませんが(笑)。
そういう意味では自分は質問者さんの
いついかなる状況でも自分の損得のみを最優先にする打ち手は、どれだけ成績が良くても所詮2流だと思っています。
という考えとベクトルが近いと思いますし、
『世間で麻雀というゲームの印象が悪い最大の理由』ではないか、
と思います(つまり今も昔も麻雀界のトップに「2流の人間」が多いから)。
蛇足ですがこれは
「世間の政治家や官僚に対するイメージが悪い理由」
「昨今の政治家や官僚が今の政情をいい方向に改善できない理由」
にも通ずるような気がします
(だから○大出身者を政治家や官僚、あるいはカテマスのような
「偉い人」にしたらダメなんだって…)。
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様々な回答があることからもわかるように、みんなが同じ方向むいてるわけじゃないんだから、どんな状況下でも勝つに尽きる。
個人的には充実してれば良い。
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私の見解では、強者の条件とは「フリー雀荘において、年間を通じてプラス収支(ゲーム代・交通費支払い後)にすることが出来る」です。
そして、マナーが守れていれば、打ち方は自由だと思います。
質問文に挙げた例についても私は全く問題ないと考えます。
アガラス1,000点については、どうやっても1,000点にしかならない手であれば、1,000点で和了ればいいはずです。それはその局の最高の結果を出せたことになりますので、他家が批判するのはおかしいです。
トップもしくは2着を取れなかった腹いせにしか聞こえません。
ドラを鳴かせてのベタオリについては、普通の戦略でしょう。
ドラを切る時点では勝負になっているわけで、それを鳴かれなければそのまま勝負に行けたはずです。しかし、鳴かれたことで勝負に行けなくなっただけの話です。
なぜ批判するのか解りません。
役満含みの仕掛けへのケアについては、モラルというより単純に実力不足という気がします。初心者は場が見れませんからね。
ちなみに、私は、打ち方のモラル以前にフリー雀荘のマナーがまだまだ浸透していないと感じています。
どんなに打ち方に気を配っていても、携帯見ながら打っていたり、片手倒牌したり、「満貫」なんていう点数申告をしたりしているようでは、そちらの方がモラルが低いことは言うまでもありません。
ドラ鳴かして降りるよりも、携帯見ながら打っている方がモラルが低いのは誰でも解るでしょう。
※質問者さんの挙げた条件は、「強者の条件」というより「優秀なメンバーの条件」という感じがします。
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フリー対戦でちょくちょく出会う「強者」の印象を話します。
よく議題になる3点、
アガラス
ドラ鳴かせベタオリ
役満のケア無し
は極たまに見ますが、その中で強者と思う方は見たことがありません。
彼らは麻雀に余裕があるので、アガラスで小銭稼いでもしょうがないんでしょうね。それよりも勝負の楽しさを優先したいと。
逆に弱者は少しでも儲けたいと思いますから、取れるところで取っておこうと言う考えになるのかなと思います。
また、ドラ鳴かせや役満のケアに関しては、強者は「鳴かれるかもしれない」。弱者は「鳴かれないだろう」。という思考の違いではないかと思います。
結果、余裕のある打ち方が「この人は強い」と思わせるのではないでしょうか。
以上「弱者」からの意見でした。
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勝負事に非情はつきもの
まして麻雀とくればそんな甘いもんじゃない
それでも記述してあるアガラス千点(牌形考慮の全くないのっけからのあからさまな喰いタンや役牌のみなど)
役牌のドラを鳴かせてのベタオリ(大抵は今の状況、自分の麻雀に対する矛盾で終わる)
こういう類の打ち手に関してはお世辞にも上級者扱いする事は無理かな
いつでも自分の打ち方にハッキリとした答えが用意できている者が上級者なのではないかな
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私は否定的な意見になります。
麻雀はいろいろな技術が絡むので上級者の判断は難しいですが、一つあげるとするならば『考える癖』がついているかどうかだと思います。
中級者以上の技術がある者同士で、相手が自分と違う判断(特に上がり方)をした時、中級者は批判し、上級者はなぜそうしたのか、自分ならどうするか、自分と相手の判断のどちらが正しいか、よく考えているイメージがあります。その意味では『他家批判しない人』とも言えそうです。(考えるから批判しているヒマはない。)
例えばアガラス1000点批判ですが、これは逆転手が入ってた2着3着がごねているようにしか聞こえません。もちろん気持ちはわかります。ですが1000点直撃条件でツモってしまったとか、トビ寸前だったとか、どう足掻いてもクイタンしか上がれない配牌やツモだったとか、アガラス妥当な場面はいくつもあります。さらに上級者は、アガラス1000点の仕掛けが入ったら、中級者が半ギレで打つ中、それへの放銃や被ツモも考慮した押し引きをします。その差、結構大きくないですか?
このように、事象を受け入れてよく考え、しっかり吸収することが上級者の気構えであり、また上級者への道だと考えます。
もちろん、この意見に対してもよく考えてもらいたいです。
またそそる質問をお待ちしています。
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ほぼリアル限定、な回答かも知れません。
【自分が目指すものは】
自制心とバランス感覚。
優れた技術と知識を持っていても、それを実践出来なければ意味がない。
1牌を押せるか、止められるか。
「まあいいや」な一打を無くせるほど、結果は良いような気もします。
(そもそもその選択が正しいのかどうか、もありますが^^;)
私生活と麻雀の兼ね合い、人間関係、などもかなり重要視します。
【目的も、人それぞれ】
結果が一番分かりやすい材料なのは、そうなのでしょう。
でも、目的すら人それぞれでしょうし。
(楽しく打てれば、会話、役作り、時間つぶし、ストレス解消etcも)
仕事や私生活に支障が出るほど熱を入れて、良い成績を納めたところで。
「あいつとは打ちたくないな」と思われつつ、勝ったところで。
ホントにそれで勝ったと言える?と自分は思ってしまいます。
【微妙なバランス】
嫌われることをしたほうが、勝ちやすい。
効率的に淡々と、楽しくない打ち方をしたほうが、有利。
そういう部分もあるのかな、と。
でもそれじゃ味気ない。人に嫌われるのも、楽しくない。
「好かれつつ、楽しみつつ、勝つ」方法を、ずーっと考え続けてるのですが。
どうしたらいいんでしょうね^^;
【なので自分は】
・勝ち負けはチャラ目標。
・予定時間いっぱいまで。勝ってても付き合う。負けてても止める。
・嫌われない、好かれることを最大の目標にする。
・意外と「愛嬌」も大事。
…という感じを目標に打っています。目標です。
…自分も、「損得」で選択してることのほうが多いです。
狭い卓上よりは、目先の「今」よりは、
も少し広い範囲、ちょっと先を見ての、損得なだけで。
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僕も、ばくだんさんやパパさんと同様に
「負けたとしても、『楽しい』『また打ちたい』と思わせる人」が
上級者ではないかなと思っています。
「負けたのに、また打ちたい人」と思うのは
『打っていて楽しい』とか『学ぶものがある』からだと考えます。
金銭や自分の着順のみにこだわり続けるなら違うんでしょうけど。
以前、「負けたけど、もう一度打ちたい人ってどんな人?」と
質問したことがあったのですが、
デジタルな打ち手からの回答は少なく、回答の内容としても
『牌効率に長けて、鳴きの判断が上手な人』というものでした。
相手をリスペクトしているならば、それでも構わないのですが
そうじゃない回答者の方も居ました。
閑話休題:
大三元さんが例に挙げた3つのものは、「モラル」というよりも
「自分の打牌に責任を取るための打ち方」だと思います。
だからこそ、それを重視する人同士が卓を囲んだ時には
それが暗黙の了解であるかのように勝負が進み、
あまりそれ(責任をとる打ち方)を気にしない人が多いならば
責任を取る打ち方は独りよがりの打ち方になってしまいます。
ちょっと間違った例えかもしれませんが、
同卓者がただの競争相手(敵)と考えるか、
技量の向上を目的とする同士(強敵「とも」)と考えるか
というのもあるかもしれません。
追記:
僕も雀鬼流に憧れているので、出来る限り
「責任を取る打ち方」を心がけていますが、
まだまだ未熟で納得のいく打牌ができていません。
もっともっと頑張らないと・・・・・
長文・乱文失礼しました
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マナーは大切だね。あと切るのが遅い人は論外、鳴くか鳴かないか迷うのもダメ、常に何をきられたらこうする、とか頭にいれていないとダメだね。
アガラス1000点は好きではないから自分は絶対やらないけど、そのあがりで他家のあがりを防げるということだから自分のマイナスをそれ以上増やさないわけだから否定はしません。
ドラを鳴かせてベタおりは私はしませんがそれをつもってもらうことによりトップが親かぶりになって自分との差が縮まることもありし点棒のない断ラスにあがらせて次局以降誰からもであがりできるようにすることもあるかもしれないから否定はしません。
一概にどういう人が強い人かはうまく言えませんが今まで強いと思った人はだいたい東1か2で強いなって思えました
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強人の条件
なんだかんだで成績を残してる人以外に判断のしようがない。
個人的には『自分の損得のみを最優先にする打ち手』が勝ち組であり一流だと思います。
その辺の考えは人それぞれだと思うのだけれど、それぞれのお店で決められたマナーだけを守ってもらえれば、何をされようが自分は構いません。
ちなみに具体的に数字で表すと、フリーなら1000戦打ってTOP率3割、連帯58%以上。
天鳳なら安定8段以上の人であればやっぱそれなりに強い。
自分の基準としてはその辺。
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ふむふむ。とりあえず自分の回答から。
強者=平均収支の高い人。
ですが平均収支なんぞ同卓しただけじゃ分からないので、判断基準は「打牌のテンポが一定の人」です。
たとえ難しい局面でもテンポが遅くならず(状況判断や牌効率に長けてる)、放銃等でテンポが速くなることもない(メンタル強し)。
付加効果として、テンポが一定だとイーシャンorテンパイなのか・押してるのか引いているのか察知しにくくなる効果も。
質問者さんの言う>☆役牌のドラを鳴かせてベタオリ☆役満含みの仕掛けへのケア
この辺の件ですが、自分としては「強者が弱者にしてあげてもいい配慮」くらいの認識ですね。
普段あまり成績のよくない人は、上のような配慮をする必要は全くないと考えます。暴論のようですが、初心者は卓についたその段階で既に不利なので。元々成績よくないのに無理するなと。得なことだけやってなさいと。
というわけで、(自分にとって)質問者さんのいう「モラル」は、配慮という名の実際はただの見下し行為です。
で、その「配慮(笑)」ですが、自分は卓次第でやったりやらなかったり。本来自分は全く気にしないんですが、そのような暗黙のルールを重視している人が多くいるのは理解しているので、必要なときだけ合わせる程度。
セット含めフランクに楽しく打ってる卓であれば、アガり牌の見逃しも含め他色々することも。
逆に雰囲気の良くない卓だったり、明らかに強そうな人ばっかのときは自分の金だけ追っかけます。(むしろ、もともとはいつもコッチ側)
しかし、どんなに勝ちたくても勝てないときもあるのが麻雀で、そう考えると勝てるときに容赦なく勝ちを重ねるのが平均収支をあげるために大切なんですけどね。
それを徹底していないあたり、自分の掲げる「強者の条件」に明らかにのっとていませんが・・
最近はフリーに行く回数もめっきり減ってしまったので、遊びに行ったその日が楽しければいいやくらいの感覚ですね。
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勝っても負けても、また再びの対戦を望まれる相手を上級者と捉えます。
この感覚はネットと相対では異なるでしょうね。
ですから、相対の麻雀よりの回答と限定しておきます。
まぁ、擦り合わせも無駄な行為なのは理解できます。
根本的な臨戦姿勢から違う(一つしか価値観が無いのも気持ち悪いですが)のですからね。
対戦相手が一人もいなくなれば、そりゃあどんだけ強くたって上級者なのかどうか。
そこに質問文にあるモラルを全て無視して辿り着いてどうなるやら。
次からの対戦に不用意な敵が増えるだけでしょ?
二軒リーチに切る牌が無ければ、「こいつ、うぜぇ」と思う人とそうではない人とでは、どちらにより当たらないように打つか?
「仮テンパイだったけど、こいつからなら当たっとくか」なんてね。
まぁ、そういう場面はイレギュラーではなく見てきているんでね。
絶対の価値を作れば、楽にはなるだろうけど、その範疇の外側は見えないし、認められなくなったり。
相対では2~30000ゲームくらいの経験はあるけど、まだ絶対なんて見えてこない。
多分、相対のまま終わるんでしょう。私の麻雀は。
相対麻雀なら、対戦相手に嫌われて得になることは少ないでしょうからねぇ。
最も、質問文にあるモラルの存在に意味を感じない相手とは同じ道をあるいてないでしょうし、同じ「麻雀」とも思いませんが…
お互いにね。
補足
雀鬼流を装備していた質問者さんとそうではない人間と同じ答えにはならんでしょう。
殊更、「モラル」「責任」はね(^^)
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まず、無駄に敵を作らずに居られる成績優秀な人が
そういった対象であると私は思います。
daisangenideaさんが挙げられたようなものは、
よくフリーにおいては、「敵」を作る行為だと私は考えています。
自分の損得を優先するということ自体はとても大切です。
ですが、他家に“無言の打牌批判”を感じさせるような対応は、
明らかに長期的対応においては損する行為であり、
こういう雀風の人を“潰してやれ・・”という感情を抱かせる打ち筋は
決して上級者の打ち筋とは私には思えません。
このあたりもdaisangenideaさんに共感する部分ですね。
普段上がり3着や4着などしない人の逆転潰しが起きたり、
特定の人物の不利になるような打牌が横行したりなどもそうですが、
そういった雀風を理解している雀力のある同卓者は、
何気にそういった事を実践できます。
ネットを主戦とされる雀士の方はこういった「暗黙の共闘」というのを
軽視する傾向にあると私は思っています。
麻雀は1対1対1対1という局面ばかりではありません。
周りへの配慮があまりに低く、自分の損得だけを重視する
打ち筋を見抜かれると、このバランスが大いに崩れる
ケースが出てくるわけです。
こうなると、1人の人間の対応力ではなかなか
勝利する事はままならなくなります。
機械が打っているわけではなく、感情のある人間が
打っている訳ですから、渡り鳥的にフリーに行く方なら、
それもありでしょうが、ある程度腰を据えて同じ店に通う方
であれば、いくらフリーとは言えど、いずれ跳ね返ってきます。
非常に卓越された上手い受けの打ち筋には共感を覚えたり、
勉強になったりして、仮に負けたとしても「稽古を付けてもらった感」
というのが残る相手というのを肌で感じられる
対局相手というのが存在します。
「負けて悔しいけども麻雀やって楽しかったと相手に思ってもらえる人」
それが私の考える【麻雀上級者】だと思います。
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私は全くの反対意見です。
機械のように、自分の損得だけを追求できる人が「上級者」だと思っています。
「自分の損得のみを~所詮二流」というのは、「弱者が強者に抱いてしまいがちな幻想」だと思っています。
「何らかの分野(スポーツなり将棋などの知的ゲームなり)で良い成績を残している人は無条件で人格者である」と思ってしまいがちなのと同じですね。
そもそも「本当に強い」とは何なのか、「一流と二流の違いは何なのか」という物を考えた時、その定義は曖昧になってしまいます。
ですから、単純に「良い成績を残せる人」というのを「強者」とするならば、自分の損得を求めて打つのが「強い」ための条件だと思います。
私はマナーは重んじます。
しかし、曖昧であまり意味の無い「(質問者さんの言うところの)モラル」は、むしろ馬鹿らしいと思っています。
極端な事を言えば「勝とうとする行為」全てが他家にとっては「迷惑」であり、迷惑という曖昧な基準で物事を考えるとあらゆる行動ができなくなるからです。
そういう私の「麻雀観」から考えて、「何より自分の損得を重視できる人こそが強者」であると思っています。
「上級者」という言葉自体が曖昧な物で、私は「優れた成績が残せる人」という意味で考えています。
質問者さんのような「上級者像」を描くのもまた自由だとは思います。
「自由」だからこそ、「上級者とは何か」を議論したければ「上級者」という言葉の意味をきちんと定義した方がいいかもしれませんね。
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